御成道ツアー

道中の名所・史跡を紹介します。

A.江戸城大手門

江戸城の正門。将軍家社参の際には必ず大手門から出立。

B.目赤不動南谷寺


もとは動坂にあった伊賀の赤目に由来する赤目不動が3代家光の命により目赤不動として当地に移転。江戸を守護する五色不動のひとつとする説は有名。

C.六義園


元禄8年(1695)に5代将軍綱吉から与えられた地に柳沢吉保が7年の歳月をかけて造営した池泉。

D.西ヶ原一里塚


日光御成道2番目の一里塚。都内で一里塚が残るのは、中山道の志村とここ西ヶ原の2箇所だけになってしまった。

E.旧染井村

江戸時代の植木・苗木の大生産地

F.飛鳥山公園

8代将軍吉宗の時代に整備された桜の名所

G.王子稲荷

落語でも有名な関東稲荷の総元締め

H.旧川口宿本陣表門


代々川口宿の本陣をつとめた永瀬家の門として現存する。川口宿の主要な業務は江戸と鳩ヶ谷宿への人馬継立で、常に馬役と歩行役(人足役)の用意が必要とされた。今は奥まった場所にあるが、当時は御成道に面していた。

I.錫杖寺


徳川将軍日光社参の際の御休所として指定され、2代将軍秀忠以降、歴代の将軍が昼食を取った記録が残っている。葵の御紋の使用が許され、瓦など随所に三葉葵を見ることができる。晩年を川口で過ごした最後の大奥筆頭御年寄・瀧山と、その伯母の染島の墓もある。

J.旧田中家住宅


味噌の醸造業と材木商で財を成した田中徳兵衛が、大正12年(1923)に建築した洋館と昭和9年(1934)に増築された和館から構成されている。国登録有形文化財に指定され、現在は市の施設として公開・活用されている。

K.薬林寺


本尊は阿弥陀如来。開山は寛正元年(1460)。山門近くに位置する庚申像は、長く人々の信仰を集め、鼻も口も分からなくなるほど顔がすり減っている。境内には十一面観音を安置する観音堂などがある。

L.真光寺


本尊は釈迦牟尼仏。本堂はかつて鳩ヶ谷宿の本陣をつとめていた舟戸家の家屋を昭和初期に移築したもの。各所に修繕の跡が見られるものの、江戸時代の建築として、貴重である。

M.鳩ヶ谷氷川神社


応永元年(1394)に創建されたとされている。1600年、徳川家康が奥州出陣の途中、境内で休憩したという由緒ある神社。貴重な子連れ狛犬がある。境内には数多くの神様と、戦没者慰霊碑が祀られている。

N.市神社


鳩ヶ谷宿のほぼ中程、御成道に面して祀られている。8代将軍徳川吉宗の時代、見沼通船堀が開削され、舟運が盛んとなり、物資の流通が盛んになるにつれて、市が開かれるようになった。やがて毎月3と8の日が開催日と定められ、「三八市(さんぱちいち)」と呼ばれるようになった。

O.法性寺


もとは太田道灌の創立した天台宗寺院。震龍禅師が鳩ヶ谷の人々の苦しみを救うために明応7年(1498)に創建したと言われる。本尊は釈迦牟尼仏。山門は足利時代末期の作。庭園は湧水に富む静寂な名園。境内全てが埼玉県「ふるさとの森」に指定されている。

P.地蔵院


本尊は地蔵菩薩。鎌倉時代中頃の作とされる「木造不動明王立像」(埼玉県指定有形文化財)を所蔵している。境内には樹齢600年と指定されるクスノキ科の大木「タブノキ」や不二道の開祖、小谷三志の墓がある。山門を入ると右手に「良縁地蔵」も祀られている。また、入り口脇には道標が立っている。

Q.真乗院


本尊は不動明王。本堂の前に立つコウヤマキは、川口指定天然記念物に指定されており、樹齢は800年とされている。境内の閻魔堂には閻魔、奪衣婆が安置されている。享保13年(1728)、将軍吉宗社参の際には小休所となった。

R.一里塚ポケットパーク


かつて一里塚がもうけられていた交差点の角が整備され、「一里塚ポケットパーク」として整備されている。日光御成道6番目の一里塚。片隅にはひっそりと馬頭観音が祀られている。

S.諏訪神社


一本木町会会館の奥にある神社。かつては延寿院という寺と一体になっており、将軍社参の際の御休所に指定されていた。隣の大門宿まで間もないのに休憩に使われたのは、台地の緑にあり、当時はよほど景色がよかったからだろう。

T.大門宿本陣


協本陣とともに茅葺き長屋門を残す。元禄7年(1694)に建設された。門には番所が設けられている。往時を偲ぶたたずまいを今に残す。

U.野田のさぎ山

このあたりは8代将軍吉宗により紀伊徳川家の鷹場と定められた。付近には多数のサギが栄巣し、「紀伊の殿御囲鷺」の名で保護されていた。

V.膝子一里塚

本郷追分から8番目の膝子一里塚

W.時の鐘


岩槻藩士・大岡家に仕えた儒学者・児玉南柯とともに岩槻の「過ぎたるもの」に数えられた時の鐘。1日12回、城下に時を告げた。

X.浄安寺


本尊は阿弥陀如来像を安置する。山門は付近にあった岩槻城田中口の木戸門を移築したもの。将軍社参の際に鑓がつかえるため「門を壊せ」と命じられた岩槻城主が「鑓を倒してお通りを」と答えたので『鑓返しの門』と呼ばれる。円空仏をはじめ多くの歴史的遺産を所蔵。

Y.岩槻城址公園


長禄元年(1457)、太田道灌の父・資清が築城した岩槻城は、川越城、忍城とともに県内三名城のひとつとされる。城跡を生かして整備された公園は、桜の名所としても知られる。

Z.おたま様


鹿室交差点角。明和年間(1764-72)
造立の猿田彦像。子供の咳の病にここのおたまを借りて味噌汁を飲ませ、治ったらお礼にもうひとつおたまを添えて返したという言い伝えが残る。

1.下野田一里塚

御成道を挟んで左右2つとも残っている

2.下高野一里塚

12番目の下高野一里塚

3.権現堂堤

春の桜と菜の花畑は絶景